1955-07-05 第22回国会 参議院 外務委員会 第16号
若干の端数の増減があったということでございまして、今日わかっておりまするのは、氏名の判明した生存確認数は、ソ連地区で千三百六十三名、千島、樺太が八十九名、氏名の判明した状況不明者はソ連地区で九千五百名、千島、樺太で千六百九十名、計、ソ連地区で氏名の判明した生存者、状況不明者で氏名の判明している者が一万八百六十三名、千島、樺太が千七百七十九名、もちろん先ほどのような事情もございまするから、調査が行きわたらずに
若干の端数の増減があったということでございまして、今日わかっておりまするのは、氏名の判明した生存確認数は、ソ連地区で千三百六十三名、千島、樺太が八十九名、氏名の判明した状況不明者はソ連地区で九千五百名、千島、樺太で千六百九十名、計、ソ連地区で氏名の判明した生存者、状況不明者で氏名の判明している者が一万八百六十三名、千島、樺太が千七百七十九名、もちろん先ほどのような事情もございまするから、調査が行きわたらずに
それはソ連におきましての氏名の判明した生存確認数。日本側の材料によって最も正確と思われる数字でございます。氏名の判明した数字が千三百六十三名、千島極太におけるものが八十九人、氏名は判明しておるが状況はすっかりわからぬものがある、これがソ連において九千五百、千島、樺太において千六百九十、こうなっております。
氏名の判明した生存確認数は、ソ連が千三百六十三名、千島、樺太が八十九名。氏名の判明した状況不明者は、ソ連が九千五百名、千島、樺太が千六百九十名。総計いたしまして、ソ連が一万八百六十三名、千島、樺太が千七百七十九名でございます。